玉川聖学院 中等部・高等部

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

今日の聖書のことばと祈り

新約聖書 ヨハネの福音書 6章27節
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」

 私たちは何かを造り出し、意味のあるものを生み出す自分でありたいと願います。神に似たものとして造られた私たちには、いのちを創造した神の業を模倣する願いが与えられているのでしょう。そして神もまた、私たちにただ食べて生きるだけの人生を望んではいないのです。
イエスは、食べ物を求めて集まってきた群衆に対して「もっと大きな価値のために働け」と勧めました。人々は、イスラエルの祖先が荒野で食べ続けたパンを引き合いにして、おなかを満たしてくれる奇跡をイエスに要求します。しかしイエスは彼らの求めるパンとは違うパンを提供するのです。
「わたしがパンだ。わたしを食べなさい。」
 イエスは自分を「いのちのパン」と呼んで、食べ物にまつわる奇跡よりも、イエス自身に向き合うようにと人々に語りかけます。しかし彼らは食べ物をもらえるかどうかが関心事だったので、イエスの意図がわかりません。「この人を食べる?人食いをしろとでも言っているのか?」動揺する彼らにイエスが続けた説明はさらに理解不能なことばでした。
「わたしの肉を食べ、血を飲めば、わたしと一緒に永遠に生きる。」
人々にはほとんどホラーのように聞こえたことでしょう。そのときまで弟子としてついてきていた人々すらも、その大多数がこのイエスの言葉に嫌悪感を抱いて去っていきます。しかしイエスが伝えたかったのは、この後十字架で死んでよみがえる自分こそが、信じる者に永遠のいのちを与える救い主だということだったのです。

 神が私たちに求めておられることは、見える物や起こる出来事に一喜一憂している私たちの目を、イエス自身に転じることです。与えられた物よりも、与え主に向き合うことです。なぜなら、人が永遠の価値を持つ働きに携わりたいと願うなら、永遠の神を知ることから始めなければならないからです。

【祈り】
天のお父様。私にも何か価値あることをさせてください。私自身のためではなく、誰かを助けられるような働きができるようにしてください。いのちのパンであるイエス様を知ることを通して、自分の使命にも出会うことができますように。
救い主イエスの御名を通してお祈りします。アーメン。