旧約聖書 申命記 8章3節
「…それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。」
緊急事態宣言が延長されました。社会の様々な働きを担っている人たちの生活が危ぶまれています。今日の食事を食べられたとしても未来に見通しがないときに、私たちはこの先を生き続けられるかどうか猛烈な不安を感じます。このような中で「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」という祈りは、今までとは違った切実さを持つのではないでしょうか。この言葉は、イエスが弟子たちに教えた「主の祈り」の中で、人間の側の必要を祈る最初の部分です。私たちを生かしてくださるようにと願うことは、人間が神に向かうときの基本的な姿勢なのだと言えるでしょう。
かつてイスラエル民族は、荒野をさまよっていた40年間を、神が与えるパンで生きながらえていました。そのパンは細かく白く甘いもので、平日には毎朝必ず土の上に見出すことができました。週に1回の安息日には神はパンを与えてくださらないので、その前日に2日分を集めることになっていました。しかし平日には、毎朝その日の分だけ、自分の家族の分だけを集めるように命じられていました。もしそのルールを破って、平日に余分に集めて保存しておこうとすると、虫がわいて悪臭を放つのでした。彼らは様々な苦難を通りながらも、毎日の食事をその日の朝には確実に与えてくださる神を体験し続けたのです。
人間は食物を必要とします。しかし、人間はパンだけではなく、多くの複雑な条件をすべて満たされなければ生きていけない精巧ではかない被造物です。一つの条件を欠くだけでも、不安定で危うくなるのが私たちのいのちです。自分で働き、獲得し、貯蓄し、未来を安定したものにしようとする私たちは、自分だけで、人間だけで世界を回していると勘違いしていないでしょうか。
【祈り】
天にいらっしゃる私たちの神様。私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。食物だけでなく、前向きに生きるために必要な心とたましいの糧をお与えください。そして今日の分を受け取ることで、満足と感謝の心を私が持てるように導いてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。