新約聖書 マタイの福音書 6章26~27節
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」
昨日も今日も心配が心をよぎります。こうした方がいいのだろうか、ああしなかったから私はもう伝染っているのではないだろうか。これからどうなるのだろうか。身近な誰かが、もしかして私が死んだりすることがあるのだろうか。こういう状況を大人は何とかしてくれるのだろうか。
あなたは最近、空を見上げましたか。家の中だけで過ごしていると、心の世界も狭くなります。外を散歩するときがあったら、360度の景色の中に人間が造ったものではないものを見つけてみましょう。鳥や木々や花や空。気づいてほしいのは、そこで神に生かされているものたちの美しさと落ち着きです。そこに植えられて、そこで動いて、定められたところで満足しながら最後まで生きていく姿です。そしてその背後に、彼らを養っている大きな存在があることを思い出してほしいのです。
多くの人は自然界の美しさと宇宙の広大さに感嘆します。しかし、その感動をはるかに越えた恐るべき存在が、それらを支えている事実にはなかなか気付けません。そしてその存在が私たちと同じように心を持っていることを信じようとしません。しかし事実は、この世界を外側から完全に包んでいる神は、その内側にも満ちている見えない方として、この世界に対するひとつの思いを持っています。すなわち、すべての存在の必要を満たし、生かすという思いです。その実現は、造り主である神にとっては当然のことです。私たちは、神がいたとしても気まぐれで残酷な存在ではないかと考えたり、恵み深い神だとしても自分のような存在には関心がないだろうと決めつけて期待しないようにしたりします。私たちのそのような毎日の勘違いは、本当の神にとってはさぞかし心外なことでしょう。
「この世界をよく見れば、わかるだろう?」と神の子イエスは語ります。「神はこの世界をあなたたちのために造った。この神が、この鳥以上に、あなたの必要を満たしてくださることを、あなたは信じてよいのだ。」
【祈り】
父なる神様。世界を支配しているあなたが、今日も私の心と体をお守りください。あなたに生かされていることに安心して、私に与えられている時と力を、生かしていく一日を過ごすことができますように。
イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。