旧約聖書 詩篇 1篇2~3節
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。」
今日は、本来ならば入学式の日でした。新入生と直接会うことのできない4月、在校生の声を聞くことのできない新学期は、本当に寂しいものです。正門の桜はよく耐えて、満開のままこの日を迎えましたが、見てくれる生徒がいなくて残念です。(新入生のための桜散る中での短い動画をhpにアップしますので、玉聖の今年の桜を見てあげてください。)
そして、この文章を書いている6日の夜には、7日に緊急事態宣言が出されるというニュースが流れています。さらに落ち着かない日々が続きそうです。
上記の聖書のことばは、創立者の谷口茂壽先生が玉川聖学院をミッションスクールとして始める決意のきっかけとなったものです。「主のおしえ」とは聖書のことばです。昼も夜も聖書のことばを口ずさんでいるという様子は、のどかな風景だと感じるかもしれません。しかし、実際には、みことばを反芻し続ける人とは、悲しんでいる人、先が見えない人ではないかと思います。自分の心の軸を定めるために、自分の心が忘れてしまわないように、一生懸命に神のことばを繰り返し思い起こしているのではないでしょうか。
どのような人にも夜があり朝があります。真っ暗な闇を歩くときもありますが、やがて夜が明けます。時が来るのです。しかしその時に、実を結ぶという結果を受け取ることができるのは、明るいときも暗いときも、神のことばから離れなかった人なのです。その人は、事態がどのように悪化しても、いのちをつなぐことができます。神のことばによって心のうるおいが保たれるからです。そして実を結んだ後にも、勢いを失うことがありません。世界のために与えても与えても、新しい愛を神から受け取ることができるからです。
緊急事態が宣言されたら、聖書を開いて神の宣言に耳を傾けましょう。人が緊急事態を語り出すはるか前から、神はすでに私たちの日常の緊急事態のために、十分な恵みを差し出してくださっているのですから。
【祈り】
憐れみ深い父なる神様。またしばらく家から出られない日が続きそうです。どのようなときにも、私たちが生きる力を得られるように、聖書のことばから励ましを与えてください。医療や福祉の現場で全力を尽くしている人たちを支えてくださって、弱い人たちが守られるように、私たちを憐れんでください。
救い主イエス様の御名前によってお祈りします。アーメン。