今日の始業式の中止の連絡を、昨日夜に保護者の皆さんにお伝えしました。今日こそは皆さんの顔を見れる日だと本当に楽しみにしていました。心から残念に思います。しかし、見えない感染の広がりが私たちの予想を超えていた場合、このタイミングで集まることがどのような結果になるのかわからないことを考えると、やむを得ない決断でした。今までにない経験ですが、皆で集まる始業式というかたちはなくても、心ひとつに今年の玉川聖学院を一緒に始めていきたいと願っています。
旧約聖書 伝道者の書 3章15節
「今あることは、すでにあったこと。
これからあることも、すでにあったこと。
神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。」
未曽有の、想定外の、という言い方で、私たちは自分の経験値を越えたものを表現します。しかし「伝道者の書」は、世界の出来事にはただ繰り返しがあるだけだと語ります。同じような苦しみは、実は昔から繰り返しあった。というよりも、この地球上の別の場所で、すでにその苦しみは苦しまれていた。ここにいる私たちが知らなかっただけで、未曽有の出来事は常に地上にありつづけているのだと言うのです。
繰り返されているだけなら、そこに新しい意味はあるのでしょうか。このような感染症も確かに何度も歴史の中で繰り返されてきました。今回も私たちを翻弄して、多くのいのちを奪っていくというだけなのでしょうか。そこで人間が労苦する意味は何なのでしょうか。人間だけを見ながら、長すぎる時間や広すぎる世界を考えると、私たちは空しくなってしまいます。つかみ切れない大きさの中で、自分があまりに小さく頼りないということに気付いてしまうからです。
しかし、いのちと死がひたすら繰り返されているこの世界に、変わることなく貫かれている真理がひとつあります。ここに神がいるという事実です。どのような悲惨さの只中であっても、大昔から変わることなく、人間を求めておられる神がいます。苦難の中で神に祈り始め、地上のいのちを越える永遠のいのちを受け継ぐ心を持つようにと、神は今も私たちを追い求めておられるのです。
いつもと違う春だからこそ、人生に対して真剣になりましょう。そのとき、神が、そして世界がどのように見えてくるのかを発見してください。
【祈り】
天のお父様。たくさんの人がいのちを失い、愛する者を失っています。私もいつか、同じような道をたどるのでしょうか。私を追い求めてくださっているというあなたが、この私の人生を新しい生きたものにしてください。
イエス・キリストの御名を通してお祈りします。 アーメン。