旧約聖書 イザヤ書 52章12節
「あなたがたは、あわてて出なくてもよい。
逃げるようにして去らなくてもよい。
主があなたがたの前に進み、
イスラエルの神が、
あなたがたのしんがりとなられるからだ。」
神の憐れみというものは、どのような状況の中にもあるものです。ここから逃げなければならない時も、あるいはここにとどまらなくてはならない時も、そしていつ動き始めたらよいのかがわからない時も。緊急事態としてダッシュしなければならない時も、周到に準備して着実に進まなければならない時も。どのような時にも、自分一人がこの出来事を担っているのではない、神が前に、そして後ろにいて支えてくださっているのだ、と知ることは、私たちにとってどれほどの励ましでしょうか。
人間はそれぞれ主体的に責任を担う存在です。しかし同時に、その重さにふさわしく責任を取れる人間などいないのではないかと私は思います。もちろん約束したことは守り、守れなかったときは誠実に謝り、できうる限りの努力をして、私たちは責任を果たすことをお互いに期待します。でもその判断や不始末や影響が本当は誰にどれほど及んでいるのか、それらすべての責任を負うとは何をどうすることなのか、実は私たちには想定も把握もできないのが現実なのではないでしょうか。
自分の責任を神に担ってもらうということは、現実逃避でも責任放棄でもありません。人間の認知やコントロールを越えた神の力と守りに信頼することによって、自分のするべきことに落ち着いて取り組む勇気を持つということなのです。
【祈り】
天のお父様。あなたがすぐそばで私の歩みに同行してくださっていることに感謝します。やるべきことや、やらないでいるべきことを教えてください。この国やこの世界のひとりひとりの心があなたによって守られて、与えられている責任をあなたと共に果たしていくことができますように。
イエス様の御名によってお祈りします。 アーメン。