新約聖書 ピリピ人への手紙 4章6節
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
私たちは不安です。不安な心は吐き出したくなります。そのような心を聞いてくれる人、受け止めてくれる人がいることで、私たちは心の平静を保てます。しかし、人の不安や不満をぶつけられる相手の方は、心がふさいだりさらに不安になったりします。私たちがお互いに落ち着くために心の思いを伝えあうことは、それが大切なことであるからこそ、人間の心に負荷をかけるのです。ですから、不安を分かち合うには、もう一人を心に招く必要があります。
思い煩いは常に私たちの中にありますが、それを心の中で育て上げる前に、神というもう一人に打ち明ける道があります。座って深呼吸をして、こんな状況の中でも自分に与えられているよいもの、残されているものを神に感謝するところから始めます。与えられているものを認識することは、与えてくださっている神を思い出すことです。そのステップがあって初めて、私たちは落ち着いて相手を定めた祈りを始めることができます。「あなたは与えることのできる生ける神です」という心で。
一通りの願いや思いを神にぶつけると、具体的な変化として、まず私たちの中の落ち着きの種類が変わります。人間の経験や対策、政治的思惑や社会的混乱のすべてを越えた神が、今の私たちを見ていてくださり、この世界の出来事に筋道を立ててくださっている。この世のために神の子イエスを身代わりにした神が、私たちを憐れんでいないはずはないのだ、と。この種の心の落ち着きは説明しがたいもので、まさに神が心に生まれさせてくださる平安です。
祈った後にもしあなたも少し落ち着くことができたとしたら、それはあなたがよいことを見分けて行動をするために与えられた心の余裕です。あなたは今日、その心を何のために、誰のために使いますか。
【祈り】
神様。この世界はあなたのものです。ここに生きる私たちを憐れんでくださり、不安や不満のあるところにあなたの平安をお与えください。この世界の苦しみを、片隅で和らげる何かを今日の私になさせてください。
イエス・キリストのお名前によって祈りをささげます。アーメン。