新約聖書 ローマ人への手紙 8章35、37節
「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」
「これらすべてのことの中にあっても」という聖書のことばは意味深いものです。苦しみには会わない、危険は来ない、という話を聖書はしません。苦しみがあったとしたらその只中で、危険に囲まれたとしたらその状況下で、あなたのすぐそばに神の愛はあるのだと語るのです。心が動揺したり混乱しているときには、私たちの心はそれどころではなくて、神の愛に気付くことなどできないかもしれません。しかし私たちが気付くかどうかということは、神の愛の確かさとは関係ないのです。人が気付かなくても、いつもそこにあるのが神の愛です。それに気づき始めた人はいつでもそこに安心感を見つけることができるようになります。圧倒的に。
周りの人たちみんなに無視されたとしても、もし味方になってくれる人が一人でもいたら私たちは人生に絶望しないですみます。もし誰か一人でも伴走してくれる人がいたとしたら、私たちは人生に挑戦する力を得られます。そしてもしその一人が、私たちの身代わりにいのちを捨てたという神であるならば、私たちの人生そのものの意味が変わります。
「圧倒的勝利者」とは、人々の中で一番になることではありません。人生の意味を神によって変えられた者が持つ、神の愛に安心しきった自己理解なのです。
今日は高等部卒業式です。卒業生ひとりひとりが神の愛に気付き続ける人生を歩むことができますように。
【祈り】
愛する神様。あなたの愛を少しでも知ることができますように。愛されている者として落ち着いていられる私にしてください。今日卒業する先輩たちが、神の愛にとどまり続けることができますように。
イエス様の御名によってお祈りします。 アーメン。