新約聖書 ヨハネの手紙 第一 5章18節
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」
誰かにほめられてうれしくなっても、後から少し不安になってしまうことはありませんか。あのときほめてもらえたのはなぜだろう。同じことを繰り返すにはどんな私でいればいいんだろう。もし繰り返せなければ、あの人の態度は変わってしまうのだろうか。他の子に向けているあの怖い顔を私にも向けるようになるのだろうか。
私たちの心には、いつもぼんやりとした恐れがあります。人に優しくしようとするときも、その人を本当に大切にしているというよりは、嫌われるのが怖いから、いい人だと思われたいから、一生懸命優しいふりをしている自分がいたりします。人を愛したいと思っていても、結局私は自分をかばっているだけ、ということが多いですね。
全き愛、完全な愛と呼べるものがあるとすれば、それは、そんな恐れを感じさせる隙を持たない愛です。確かに私たちの日常には信用しきれない自分や他者がいるわけですが、この愛は、裏表なく、気持ちのむらなく、突然激怒や嘲笑にすり替わる可能性なく、不安を全く感じさせない愛です。この愛は、十字架の死によって明らかになった、救い主イエスを通しての神の愛です。この愛を毎日受け取り続けることを通して、私たちの萎縮した心の不安がだんだんやわらいでいくのです。
今日、やる気があってもなくても、いつものちゃんとした私であってもなくても、いつも通りの情けない私であってもなくても、救い主の優しい眼差しは変わることがありません。この愛の真剣さを思う時に、立ち上がる力がわいてきませんか。
【祈り】
父なる神様。私たちの心は、人を信じられなかったり、自分がいやになったりして、気持ちが滅入ることがあります。今日もあなたの愛に目を留めさせてください。こんな私のために、命をかけて愛を示してくださったあなたの愛を、信じることができるように導いてください。
救い主イエスのお名前によってお祈りします。 アーメン。