玉川聖学院 中等部・高等部

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

今日の聖書のことばと祈り

旧約聖書 詩篇 118篇22~24節
「家を建てる者たちの捨てた石。
それが礎の石になった。
これは主のなさったことだ。
私たちの目には不思議なことである。
これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。」

 毎日が同じように過ぎていくように思えるときは、自分の体の動きがぼんやりしてしまって、生きる意味が分からなくなるようなときがあります。こんなことをしてもどんな意味があるんだろう、なんだか何もやる気が起きない…そんな気持ちになるのは、あなただけではありませんよ。この時期、日本中でみんなそんな気持ちになっているのではないかと思います。
 しかし実際には、役に立っていないと思えるような時間も、存在も、世界には存在していないのです。刻まれている時間を通して、何かが動いていて、何かが造り出されていて、未来に向かって何かが進んでいるのです。人間が把握できることが世界のすべてではありません。神の前で意味のない瞬間などありません。それを知るときに、私たちは安心して、自分の今に集中することができるのです。
 上記の聖書のことばは「石」ということばによってイエス・キリストを指しています。イエスが人に捨てられるようにして十字架にかけられたのは、悲惨で空しい死に方だと、当時の人間たちは思いました。しかし実はそれこそが、神が人間を救うために行ったことであり、人間にとってはすぐには理解できない不思議なことなのだと説明している箇所です。空しいと人が思う出来事の只中から、神はいのちと回復を生み出す方なのです。
 この神が、今日も新しい日を造り、私たちを次の一歩に押し出そうとしてくださっています。今日できることに、今のあなたなりに着手してください。何もないと思っていたところにも、神がいのちを用意してくださっていたことを知ることでしょう。
今日という日を、あなたは楽しみ喜ぶことができるのです。

【祈り】
天の神様。心にやる気が起きない朝、眠りすぎてしまったり、話し相手がいなくて疲れる今、こんな日の最中でも、あなたはよいものを造り出してくださっているのでしょうか。どうぞ私に力を与えて、今日という日のために立ち上がり、生きる力と喜びをあなたから受け取ることができるように助けてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。 アーメン。