聖書個所:マタイの福音書14章24~33節
ご成人おめでとうございます。
この日は皆さんにとって、明るい展望を持つ励ましをうける日だと思います。しかし、本当に意味のある道を見分け、選ぶという経験は、明るさの中でというよりは、不安、怖さ、緊張を経由する中ではっきりと自分のものになっていくことが、人生の中には多いように思います。今日は、イエスの弟子が怖がっている場面から、私たちへの適用を考えたいと思います。
この時、12人の弟子たちが乗った舟は大きな湖の真ん中で、向かい風の強風にあおられていました。そこにスーッと人影が波の上を近づいてきます。「幽霊だ!」と弟子たちがおびえたのは当たり前のこと。しかしすぐにイエスの声が聞こえます。「大丈夫だ。私だ。怖がる必要はない。」ここから人生に共通する一般論を学べます。第一に、私たちが、怖さや不安を感じるときは、新しいもの、より価値あるものとの出会いへの導入であるということです。これからの人生の中で、「これからどうなるのかわからない」「こんな緊張は始めてだ」と感じるときには、「この一歩先には、新しい世界が待っている。これから始まるのであって恐れる必要はないのだ」と自分に言い聞かせてください。
この直後にペテロは、イエスと同じことを自分もやりたいと言い出します。そしてイエスに招かれることで、実際に波の上を歩いてしまうのです。しかし、目をイエスからそらして風と波に気を取られたときに、怖さが戻ってきて沈みだします。第二に、私たちが新しいものに挑戦するとき、体験するのは成功と挫折の両方だということがわかります。成功体験だけをし続ける人間はいません。言い換えるならば、挫折とは自分が挑戦の真っ最中にいるという証しなのです。自分にがっかりしたり、こんなはずではなかったと思うときには、「この経験は、さらに遠くに行くため、もっと深く知るためのものだ」ということを思い出してください。
ここで玉川聖学院卒業生の皆さんには、もう一つのことを思い起こしてもらいたいと思います。ペテロはこの後、イエスに助けを求め、すぐに手を差し出したイエスに救い出されて、一緒に舟に戻り、イエスは神の子であると仲間と一緒に悟ります。最後に確認したいことは、私たちは人生の挑戦を通して、助け主に出会っていくということです。人は人生を語りますが、聖書は人生の背後に常にあり只中にいる救い主を語ります。私たちが恐れや不安を通して新しいものに出会うとき、実はそれは神につながる出会いなのです。成功と挫折を繰り返すとき、実はイエスに近づくようにと招かれているのです。そして助けをイエスに素直に求めることによって、救い主である神を知る自分になっていくのです。イエスはすぐに手を差し伸べようといつもそばで待っていてくださいます。若い時からイエスと共に歩むことによって、倒れたときも健やかに立ち直ることができるのです。
救い主イエスという真理を、皆さんは玉川聖学院で聞き続けてきました。これからの自分の人生において、その真理を自分の体験として確かめてほしいと思います。
(祈り)天にいらっしゃる愛する神様。今日、ここに集まった一人一人を今まで守り導いてくださったことを心から感謝いたします。成人としてのこれからの歩みを祝福してください。自分に与えられている力を生かし、チャンスを用い、自分に対しても、人生に対しても、真実に向き合っていくことができますように。そしてすべての営みの只中で待っておられる救い主イエス・キリストに出会い、神の恵みの真ん中を通っていくことができますように、豊かな導きを与えてくださいますようにと心からお祈りいたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。