玉川聖学院 中等部・高等部

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

今日の聖書のことばと祈り

新約聖書 ヨハネの福音書 20章19~20節
「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』
こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。」

 私たちが何かを恐れるとき、そこにはちゃんと理由があります。今私たちが外に出るのを恐れているのは、感染拡大の危険が現実的だからです。かつて弟子たちが、イエスの処刑直後に恐れて戸を閉めていたのは、ユダヤ人(イエスも弟子たちもユダヤ人ですが)の殺意が自分たちにも及ぶ危険が現実的だと思ったからです。
もし心配の原因となっている事実を私たちが無視することができるなら、一時的な落ち着きを得ることができるかもしれません。自分の不安をごまかしたり忘れさせてくれる音や娯楽は、探せばたくさん見つけられることでしょう。あるいは自分の心を鼓舞して、恐れを戦闘モードに転じることによって、この困難を乗り越えるという方法もあるかもしれません。途中で疲れてしまわなければ。
圧倒的な恐れに支配されていたこのとき、弟子たちの心に変化を与えたのは、イエスの登場でした。身を寄せ合う弟子たちの真ん中に、突如イエスが現れたのです。「平安があなたがたにあるように。」このあいさつは「あなたがたは心を安らかにしてよいのだ」という語り掛けでもあります。それはこの時の弟子たちの心にはまったくそぐわない内容でした。町の中には相変わらずユダヤ人たちがいます。恐れていた状況が変わったわけではありません。しかし、彼らの前には今、生きておられるイエスが共にいます。イエスの体の生々しい傷跡を見ながら、弟子たちはこみ上がる喜びを感じていたことでしょう。「この方は、死を通っても変わらない。死んでも生きる方なのだ」と。
混乱と不安の真ん中にイエスが現れる。すると、世界は変わらなくても、私たちの心が変わります。生きたイエスが共にいる。その事実が私たちの生きる力となるのです。

【祈り】
天のお父様。落ち着かない私の心の真ん中に、イエス様が現れてください。死からよみがえったキリストの力によって、弱々しい私の心と体に、新しい意欲を与えてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。