わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
ヨハネの福音書15:11
あと少しでいつもの学校生活が始まります。夏休みの課題は終えることができたでしょうか。残りの数日間を大切に過ごして、開始式で元気な姿を見せてくれることを楽しみにしています。
久しぶりの学校生活に不安や心配が心に浮かぶかもしれません。そんな時には、聖書の言葉を自分に心に言い聞かせてみましょう。
上記のことばは、十字架につけられる前夜のイエス様の言葉です。このときイエス様は、真剣に、愛を込めて、弟子たちにたくさんの命令と約束を与えました。そして、それらはすべて、弟子たちに「喜びが満ちあふれるため」なのだというのです。このことばは、私たちにも向けられていることばです。
1 神は、私たちに喜びを与えたいと願っています
私たちは、神はつらいことや試練を人間に与えて、それを遠くから見ているだけの存在だと思っていないでしょうか。神を信じるということは、何かをあきらめたり、犠牲を払ったり、いつも真面目に我慢してばかりの生活になるのだろうと思っていませんか。いいえ。神はむしろ、私たちが生き生きとした喜びにあふれることを願って、あらゆる状況を通して私たちに語りかけてくださっているのです。
2 喜びを知る道は、愛し合うことに取り組むことです
では、私たちに喜びを与えるために、イエス様が語っていた「これらのこと」とは何だったのでしょうか。それは、今年も私たちが学校目標として掲げている「互いに愛し合う」という勧めでした。(13章34節)
イエス様は弟子たちに対しても、現代の私たちに対しても、何度も繰り返し、愛し合う決意をすることを迫ります。何かに追われて焦りながら、自分のことばかり考えている私たちには、他者に心を向けることが必要です。他者と心が通じ合う時に初めて、私たちは自分の世界に閉じこもっている時とは全く番う喜びを知り始めます。その先に、私たちの心を満たしてくれる喜びが広がっていくのです。
3 愛は、イエス様の愛を知ることから始まります
私たちの中から生まれる愛は、小さく貧しい利己的な愛です。しかし、イエス様が私たちに見せてくださった愛は、友のためにいのちを捨てる愛です。私たちの中にはない愛を、イエス様は私たちに日々与えたいと願っておられます。それを受け取ることによって、私たちは自分の貧しさを塗り替えていただけて、自分の貧しさを越えていける喜びを知るようになるのです。
玉聖の学校生活で待っているのは、愛し合うことを学び続ける喜びです。いつもの朝の礼拝を通して、その時の自分は持っていない、しかし神が日々新たに与えると約束している愛を、受け取っていきましょう。その愛が、私たちに他者に向き合う勇気を与え、なくならない喜びを私たちの心に育てていくのです。
【祈り】
天の神様、私の心の不安を、あなたへの信頼に変えてください。自分のことで精一杯になっている私の心に、あなたの愛を注いでください。愛し合う喜びを私に教えてください。そしてその喜びで私を励ましてくださって、今日の出来事に向き合う力を与えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。(学院長 安藤理恵子)