神は馬の力を喜ばず
人の足の速さを好まれない。
主を恐れる者と
御恵みを待ち望むものとを主は好まれる。
(詩編147編10~11節)
群馬県の榛名にある高齢者施設、社会福祉法人新生会に3泊4日のワークキャンプに来ています。
榛名山麓にあるこの施設は、病院、教会、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、経費ホームなど利用者の方の条件に合わせて構築されたキリスト教主義に基づく総合施設です。私たちはここで、施設内にあるボランティア寮から各ホームに出かけ、掃除や夏祭りの飾りつけ、利用者の方々との交流などを行い、夜の就寝前の時間には心静かに一日のふりかえりと分かち合いの時を過ごします。
毎年のように引率者として参加している榛名でのワークキャンプは、よく働く生徒の姿を見ることができる喜びはもちろんのこと、ご高齢の方々の動きに合わせていつもよりスピードを落とすことが、日頃慌ただしく東京で生活している私にとっては立ち止まることの意味を見つめる大切な3泊4日となっています。
世の中では立ち止まることや待つことは、とても愚かなことのようです。スピードが最も大切にされている現代社会の中で、待つことも待たされることも無力なことでしかありません。すぐに繋がり、その場で結論を出し、瞬時に答えを出すことが優れたものであり賢さであり、そのことだけが目指すべき目標であるかのようです。立ち止まって待つことなど2025年の現在では最も無価値なことと言われることでしょう。
聖書の中にも勇ましい軍馬の活躍する戦いの場面や、足早に移動して忙しく働く人たちがたくさん描かれています。力強さこそが、速さこそがすべてに優るというところには、負けてはならないという競い合いと戦いの論理があります。人類は何千年経っても変わることなく、現代に至るまで、この論理を社会経済や生活の価値観として捉え続けています。
けれども、詩篇には「神は馬の力を喜ばず、人の足の速さを好まれない。主を恐れる者と神様の恵みを待ち望む者を好まれる。」とあります。主を恐れ御恵みを待ち望む人とは窮地に陥った時に立ち止まって祈る人のことです。「足を止めて祈る?立ち止まって神様の助けを待つ?そんなことしている時間はない。遅い!」このような声が聞こえてきそうです。
そう、祈りはゆっくり。神様の速度は決して速くないのです。神様は力強い軍馬が活躍する戦いを好まれないお方だからです。そして、足の速い人を好まれず、一番後ろを行く人にゆっくりと歩調を合わせるお方だからです。
だからこそ、ご高齢の方々のゆっくりとした歩調に合わせる榛名のワークキャンプでは、一人ひとりと歩まれる神様の慈しみと、神様が創られた命の輝きが見えてくるのです。
2025年の夏は戦後80年という節目の年、神様が玉川聖学院を創られて4分の3世紀を導いて下さった創立75周年という節目の年です。
この節目の年にこそ、立ち止まって祈り、遅さを取り戻し、本当の意味での人間らしさを取り戻していくことを大切にしたいと思うのです。
【祈り】
神様、争いの絶えないこの世界の中で、立ち止まって祈り、平和を願い、主の慈しみを待ち望む心を与えてください。そして、この私を平和のために用いてください。イェス様のお名前によって祈ります。アーメン
中等部教頭 笠井洋子