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  • 2020.08.16

今週のメッセージ

「良い実を結ぼう」

悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら、人の口は、心に満ちているものを話すからです。ルカの福音書6章43節~45節

今年もあの悲惨な戦争を覚える時を過ごしています。終戦から75年。世界中がコロナ禍で、出口の見えない不安を抱える中で、自国第1主義的な考え方が台頭し、他国を攻撃・非難することで自らの政治的な地位を保とうするリーダーたちの危うさを感じずにはいられません。私たち自身、戦争を後押ししてしまったあの時代のように、好戦的な世論の形成に加担しないかどうか心して発言しなければと思います。
1995年、当時の文部省主催の若手教員派遣のアメリカへの研修に参加する機会が与えられました。コロラド州のある高校では、「あなたは日本人として、原爆を落としたアメリカをどう思うか」という質問を受けました。その時、質問の内容よりむしろ、顔を真っ赤にして、自分自身が被害者であるかのように、自国のかつての政策に心から腹を立てている高校生の様子が印象的でした。その後、ワシントンD.C.にあるスミソニアンの航空宇宙博物館で、原爆を落としたエノラ・ゲイと、その原爆を落としたのは、より多くの一般市民を犠牲から守るためだったと説明する(当時多くの米国人に受け入れられていた)映像を見て、衝撃を受けました。お隣のホロコーストミュージアムでは、ユダヤ人の側に立ったフェアな(と私には感じられる)展示がなされているこのスミソニアンで、なんてアンフェアな展示がなされているのかと。あの高校生が怒っていた理由がやっとわかったような気がしました。と、同時に、多くの米国人が認知している考え方と違い、日本人にとってもフェアに感じる歴史の捉え方をも教えていたその高校の歴史教育にも改めて敬意を感じました。特に、戦争を考えるときに、加害側の理屈と被害側の訴えが対立することはある意味当然です。しかし、特に、尊い命の犠牲があった現場では、被害側の訴えに耳を傾けることが、いかに平和を作るために必要かを教えてくれた貴重な経験でした。
イエス様は、人の心の中が何に支配されているかは、その言葉に現れるとおっしいます。普段から、不平不満に満ちている心からは、不平不満が出て来る。いつも周りに感謝の気持ちをもっているならば自然と口から感謝の言葉が出てくる。神の前に良い実を結びたいと願うならば、普段から神の前に正しく、そして感謝をもって歩めるように、神の赦しの中で、その恵みに感謝して歩みたいものです。それは人と人の関係でも、国と国の関係でも同じかもしれません。普段から家族や友人の悪口、そして近隣の諸外国への悪口が増える時それは、戦争に加担することにさえなり得るのだと心得る必要があるのかもしれません。良い実を結ぶものでありたいと願わされます。

祈り…神様。今年は新型コロナウイルスの影響で、不自由な生活を送っていますが、そんな中でも私たちの命と生活を守って下さってありがとうございます。しかし、一方では感染者の数が増え、今も多くの患者さんが苦しんでおられ、医療関係者の方々が、危険な中で治療にあたっておられます。続けて患者さんが速やかに癒され、また医療現場の必要が満たされますように。また、私たちの心をあなたの愛で満たし、そして私たちの口が、お互いに対する、そしてあなたに対する愛と感謝で溢れますように。そして私を平和を創るものとしてふさわしくお導き下さい。イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。   (中高等部長 櫛田真実)

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