いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2022.12.08

「一人称で語れる私になるように」

コロナ禍は収束には程遠いものの、始まって3年になろうとしている昨今、社会全体は動き出している。医療、福祉などに従事する一部の人たちに困難さは集中し、様々な格差が顕著になっているように思われるが、世界全体も我が国の空気も従来の生活に戻ろうとしている。社会はこの経験から何を学んだのだろうか。10年前、震災後の新しい生き方を模索していた頃、新しい世界を想像していた頃を思い出す。既得権益を守るために、開かれた扉が閉じてしまったのではないだろうか。コロナの経験から何を変革していくことが大事であるのだろう。

今私たちに問われているのは、自分で判断し選択し歩み出す主体性なのだろう。先日、PTAと共催で「思春期セミナー」が開催された。特別講義で登壇された湊晶子先生(元東京女子大学学長)は、全身全霊を込めて90年にわたる長いご経験の中から得られたご自身の生き方を語られた。紡ぎ出された珠玉の言葉の数々は、参加している様々な境遇に置かれている人たちの思いに届いたようだ。先生の多様な経験がもたらす説得力に満ちた言葉に多くの人たちが励まされた。人生の困難の中を潜り抜けながら、凛として立ち続けてこられたその生き方から多くのことを学ばせていただいた。

教育の本質は「一人称で自分を語れる子どもたち」を養育することだとの主張は、先生自身の生き方そのものであったように思ったが、不透明な時代に生きる次世代に手渡したい言葉だ。何があっても動揺することなく流されることなく、自分の頭で考え自らの生き方を貫くことが大事なのだろう。

先日の人間学読書会で出会った姜尚中氏の言葉「例外状態は常態を照らし出す。危機の時代には普段の日常生活の中で隠されていたものが可視化され、常態の本質を表す」との指摘は、今日の社会の在り様を照らし出した言葉だ。事が起こると本質が現れる。それは社会でも個人でも同じだろう。人格が問われるのはそのような危機の時なのだろう。
そうだとしたら、日頃からどのような人格になることを目指すのかを意識しなければならないだろう。再び戦後教育の原点である教育基本法の第1条の文言が迫ってくる。「教育は人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」改めて教育の責務の大きさを実感する。

12月初めに、卒業生や保護者が集まってクリスマス賛美礼拝が、谷口ホールで行われた。3年ぶりに皆でヘンデルのハレルヤコーラスを賛美した。圧倒的な神の存在感への信頼が歌われる。揺れ動く時代の中に、しっかりとした「縦軸」を持つことが出来ることの幸いを味わった。このクリスマスに改めて「地の上に、平和が、み心にかなう人々にあるように」とのメッセージが届けられることを祈りたい。

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