いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2022.02.15

ものを見る眼を養うために

急速に広がっているオミクロン株によるコロナ感染は、今まで以上に社会の分断を生んでいるように思う。そして目の前にある現実を見ずに、科学的な根拠のない主張や正常性バイアスのかかった希望的観測がネットを中心に広がり、根拠のない自説を臆面もなく披瀝する人も多い。メディアもタレントを用いてそれを取り上げることがあり、コロナ危機に立ち向かう国民的な合意そのものが失われつつある(初めからなかったのかもしれない)。残念ながら、きちんとした見識のある「対話」は私たちに届かない。うんざりとした思いが募ってくる。

 

このような時節には、物事の本質を見極めようとした人たちの生き方に興味が惹かれる。最近、比較的若手の社会思想史の専門家である戸谷洋志氏と百木漠氏の共著「『漂泊アーレント、戦場のヨナス』慶應義塾大学出版会 2020年刊」を手に取り、一気に読んだ。アーレントとヨナスは激動の20世紀のドイツにユダヤ人として生まれ、共に同じ大学で哲学や神学を学び、不条理極まりない現実の中で思索を深め、家族や知人の多くをナチス・ドイツの政策により失うという過酷な宿命を身に帯び、命の危機に瀕してなお自らの発信を続け、戦後の世界にも警鐘を鳴らし続けた盟友であった。アーレントとヨナスという二人の思想家の人生の旅路を追いながら、自らの思想を深めながら真実を追求していく骨太な生き方を見ることができた。

 

アーレントとヨナスは、時に立ち位置や意見が異なったとしても、本当に価値あること、恐るべきこと、軽蔑すべきものが何であるのかを共有し、全体主義やテクノロジーの危うさに対して明確な発言を繰り返した。彼らが提起した問題は21世紀の世界を測る尺度となっている。彼らはそれぞれ社会的に大きな批判を受けても、異なる意見の中に揉まれても、揺るがない確信を持ち続けた。それは確かなものを求めるために厳しく自己研鑽を重ねてきた者だけが到達できる世界を知っていたからだろう。また二人の関係性と根っこにあるユダヤ人の持つ独特な思いを興味深く読むことができた。

 

学校は現在、入試と年度末のまとめの時期を迎えている。1月末から中学3年生が一年かけてまとめた「修了論文」の発表の機会が設けられている。従来は代表生徒だけが全校生徒の前で発表したが、新カリキュラムの実施に際し、生徒の探究学習が継続的に行なわれるようになった今年度から、クラス発表会やグループ発表会など、全員が自分の探究の成果を発表することとなった。それぞれが皆の前で発表した。発表中の生徒たちの表情に誇らしさを感じた。自発的にまとめ上げたからこそ獲得した達成感を垣間見ることができた。

 

私たちの目の前にある社会の現実を、子どもたちも見ている。世論を巻き込んで問題の本質から目を逸らさせようとする人たちの危うさを、どうしたら識別できるようになるのだろう。結局、自分で考え、判断し、選択し、行動する主体性を養うことに尽きるのではないか。探究学習の経験は、そのことの訓練の場となるのではないか。そういう場の提供こそが、今学校教育に求められていることなのだろう。対話ができる生徒を育てたい。

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