いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2021.12.07

言葉の力

ようやくコロナ禍の終息の見通しが立ったのも束の間、変異株の瞬く間の広がりは不透明感を掻き立てている。この2年間社会全体がコロナ禍に翻弄された日々だったように思われる。人間の心がどう変わってしまったのかを検証すると共に、失われたものの回復あるいは新しい生き方を立ち止まって考える必要があるように思う。

12月の読書会では梨木香歩さんの講演録「ほんとうのリーダーのみつけ方」(岩波書店)を読んだ。変わりゆく時代への危惧の念を持ちつつ、同調圧力が強い社会の中で流されない自分を持つことの大切さが、様々な角度から語られていた。一緒に読みながら「群れの一員」である事の難しさを改めて思い知らされた。危機の時代には同調圧力が強まるとの指摘は、現代にも通じる警告であろう。ちょうど80年前に起きた太平洋戦争開戦のニュースは、近年のテレビドラマでは不安な出来事として演じられているが、街には高揚感が満ちていたと語る体験者の話を聞いたことがある。敵を作ることが人をまとめる力になりうるのは間違いないだろう。集団の持つ魔力に惑わされないように洞察力を持ち続けることが大事なのだろう。

もう一つ考えさせられたのは言葉の大切さだった。「言霊」(言葉が生み出す力)が信じられていた時代、人は自分の言葉を大事にしていた。全人格を込めて発する言葉は責任を伴っていたし、言葉の重さを社会は共有していた。言葉が行動を引き出す原動力となっていた。先月の読書会で読んだ八木重吉の詩は説得力を持っていた。
「愛のことばを言おう ふかくしてみにくきは あさくしてうつくしきにおよばない
しだいに深くみちびいていただこう まずひとつの愛のことばを 言いきってみよう」

現代は言葉が単なる自分の感情の表明の道具になってしまっているように思われる。それゆえ
汚い言葉が無造作に口から出てくる。言葉は人格から遊離して人々の間を飛び交う。ネット空間はそれに拍車をかける。内実のない大袈裟な言葉や人を傷つける言葉が羅列される。子どもたちも汚い言葉を平気で多用する。日本語の豊かさは損なわれ、目に余る文化の劣化と衰退を感じさせてしまっている。

かつて言葉の力を信じる知識人たちは言葉の持つ力を信じて、子どもたちに良質な文化を伝えようとした。子どもたちの想像力や創造力が引き出されるように、心血を注いで微妙な変化を表す事のできる言葉を練り、科学的真理や人間の生き方などを丁寧に伝えた。子どもたちを育もうとする力がそこに働いていた。
現代はどうなのだろう。子どもを消費の道具にしていないか。子どもに既存の価値を押し付けていないか。子どもに真理を探究する力や批判的思考力を与えていないのではないか。子どもたちを大事に育もうとしていないのではないか。それが文化の衰退につながっていないか。そんなことを考えさせられる読書会だった。もう一度、自分の立ち位置を再吟味する必要を実感した。

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