いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2021.08.17

心騒ぐ夏をどう過ごすのか

 例年8月になると、多くの犠牲が払われた戦争の惨禍を振り返り、それを記憶に留めると共に平和への思いを促す報道や映像が提供されてきた。過去の歴史を忘れないことは確かな未来を選択するためにどうしても必要な事柄であるとの認識が共有されていたからであろう。ところが今年は、長く続くコロナ禍がさらに深刻さを増してきたことと、その中で行われたオリンピックをめぐる報道の数々により、立ち止まって振り返るチャンスが失われてしまったような(事実8月6日の公共放送は広島の被曝に関する特集を放映しなかった)思いがする。戦争の記憶はそれほど遠のいてしまっているのだろうか。

 この夏は報道からの刺激を横に置いて読書に時間を費やしている。昨年同様、依頼されていた宿泊研修が全てコロナ禍で中止となったこともあり、本と向き合う時間を持つことができている。それぞれの内容に刺激を受け、視野を広げること、思索を深めることができたが、自分にとって特に印象に残った2冊の本を紹介したい。
1冊目は村上靖彦著「ケアとは何か〜看護・福祉で大事なこと」(中公新書)だ。医療と福祉をトータルに考えるあり方が、実際の現場の声を通して浮き彫りにされている。冒頭で、
「ケアは人間の本質そのものでもある。・・・弱い存在であること、誰かに依存しなくては生きていけないということ、支援を必要とするということは人間の出発点であり、すべての人に共通する基本的な性質である。・・・弱さを他の人が支えること、これが人間の条件であり、可能性でもあると言えないだろうか。」
と記されている。そして「コミュニケーションを取ること」「その人らしさを作るケアとは」「存在を肯定する」「死や逆境に向き合う」「ケアの行方」と、それぞれの章ごとに、人と人との関係性のあり方、作り方、その不思議が発見されていく過程が論じられていた。
 今までに自分自身で直接感じたり考えたりしてきたことが、まとまりのある形で整理されていて、読んでいると、まるで友達から語りかけられているような親和感、納得とスッキリした思い、そして自分の考えを言語化できないでいた事柄を整理し直す契機が与えられる思いがした。書かれていることは、人と接する職業に従事する者にとっての基本的な姿勢であるように思われた。こういう書物の助けを借りて、自分の言葉も整えられていくことを確信させてくれた。

 もう一冊大変心に残ったのは、阿部正子編「訴歌」(皓星社)だ。編集者である阿部さんが、「ハンセン病文学全集全10巻」(皓星社)の中から、短歌、俳句、児童作品の巻に収録されている療養者たちの創作した作品から3300余首の歌を掲載している。社会との交流を遮断され、隔離され、強制収容された人たちの魂の叫びが集められた詩歌集だ。一つひとつの作品に込められた作者たちの思い、絶望と孤独、暗闇の向こう側で輝くほのかな光に照らされて、いつしか心は「いのち」についての魂の次元の理解に向かって開かれていく。
とりわけ、まだ幼いうちに地域や家族から引き離されて療養所に送られた子供達の作品の収録も多く、偏見に満ちた「らい予防法」に基づく隔離政策の犠牲となった子供達の存在に思いを寄せて編纂に当たったという編者の思いも伝わってきて、編者と同様に自分自身も同じように「知らなかったこと」への自責の念とともに、彼らの「訴歌」がずしんと心に刺さってきた。
   「わが胸の悲しみ知らぬ父母に悲しみ知らせず書くたよりかな」(重夫少年)1958
冒頭の「あなたはきっと橋を渡ってきてくれる」という句にどう応答したら良いのか考えさせられた。マイノリティの立場におかれた人々が、悲しみの中から紡ぎ出す「言葉」の持つリアリティに心揺さぶられ、改めて自分自身の関心のあり方を問われる本だった。与えられた時間をどこに視点を当てて物事を見ていくのか、考えさせられる夏を過ごしている。


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