いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2021.03.08

立ち止まる経験を通して

 今年度の読書会は、秋には数回、直接集まることができたものの、大半はオンラインのウェブ形式で行なわれたが、それでも9冊の本を保護者と一緒に読むことができた。先日は、デイヴィット・クンツ著「急がない」(主婦の友社)を取り上げた。冒頭近くにこのような記述があった。

「私たちは今、全員が列車に乗っている。それも超特急列車である。しかもこの列車の
スピードは、わたしたちの意識ではコントロールできない。だからこそ、速度を落と
  そうとしても落ちないのである。わたしたちの意志が弱いからでもなく、意気地が無
いからでもない。なぜならわたしたちは乗客であって、運転手ではないからだ。」

目まぐるしく変化する社会の中で、流れる景色をぼんやりと眺めながら心は虚ろになっている私たちに、列車から降りてちょっと立ち止まり、自分の眼で美しい景色を見ることを勧めている。
社会への同調化(エントレインメント)を脱するためには、途中下車することが必要なのだ。立ち止まって振り返って見ること、自分がどこにいるのかを確認することの必要性を強く説くと共に、それを可能にするいくつかの方法について、わかりやすく解説していた。
 しかし私たちは自分の意志だけでは、なかなか立ち止まることができない。しかし外部要因で立ち止まらざるを得ないことは起きてくる。自分の身の上あるいは周囲に起こった出来事によることもあるが、社会的な出来事がそれを可能にすることもある。

東日本大震災が起こってちょうど10年の歳月が流れた。あの時の自然災害と福島原発の事故は、まさに私たちの生き方を、立ち止まって問い直すチャンスでもあった。電力不足への懸念から計画停電が実施され、長く暗い時間を過ごす中で、エネルギーの問題やこれからのライフスタイルについて想い巡らせる時だった。果たして国全体は立ち止まることができたのだろうか。開かれた新しい世界に踏み出すことができたか。今、この10年を振り返って、特急列車は速度を落とさずに走り続けてこなかったかと考えさせられる。

 3月、首都圏への緊急事態宣言が延長されたことで、また生徒たちは様々な制約の中で年度末を迎えている。いきなりの休校要請から一年が経過しているが、私たちの国はコロナへの対応に対して、何を学び、何を理解し、何を改善してきたのだろうか。立ち止まって評価反省して、次に備える営みを進めているだろうか。この間様々な社会問題が顕在化し、分断が進んでしまったように思われる。そして少なくとも子供達や青年たちの多くが、大人たちの判断により大事な経験が奪われ、大きな制約の中を耐えながら過ごしている。いつまでこの状態が続くのだろうか。成長期の心の停滞は思わぬ深さで傷や欠けを生じさせることを、意識しなければならないと思わされる。

「立ち止まること」そして「自分で考える」ことを通して、本来の自分の姿がみえてくる。自分が本当に願っていることが何であるのか、自分と他人との境界線がどこにあるのかが見えてくるとクンツは語っている。勇気を出して立ち止まることで、列車の車窓の景色ではなく、自分の目で確かめられる自然の姿を取り戻せると言っている。もうしばらく続くステイホームの間に、本当の自分を取り戻せたら幸いだ。

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