心を磨く

  • 2020.08.06

今日の聖書のことばと祈り

新約聖書 ガラテヤ人への手紙 6章 7節
「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」

キリスト信仰とは、神にゆるされるはずのなかった私たち罪人の代わりに、救い主イエスが神の罰を受けてくださったことによって、私たちがゆるされて神の子としての特権を与えられる、という信頼です。ゆるされるための条件は、このことは神のしてくださったことなのだと信頼し、認めることだけです。あまりにも寛大すぎる話に思えますが、この理屈を冷静に考えると、人の罪には刑罰があるという現実が前提になっています。福音とは、イエス・キリストがすべての刑罰をかぶってくださったという話なのです。

聖書は非常に現実的な書物です。神の恵みは、人間関係において私たちが身に着けてきた常識を覆すかたちで与えられますが、だからと言って神が人に甘くて何をしても怒らないというわけではありません。神は人間のように自己中心的正義で他者を判断しません。偏見のない正しさで断罪する方です。この神の前ではごまかしは通用しません。私たちのやること、言うことは、人間の前では気づかれなかったり忘れられたりもしますが、神の前では私たちの人生にちゃんと結果を刻んでいくのです。
事実、私たちは自分がやったこと、やらなかったことの結果を、自分で受け取り続けています。嘘をつきはじめれば、つき続けなければならないし、人を傷つければやがて自分も同じように傷つけられます。しかし、誠実に歩み続けるならばやがて誠実な人が近づいてきます。だれかをかばって助ける人には、助けてくれる人が現れます。そして、ひとりで生きようとすれば、私たちはひとりになっていくし、神と共に生きようとするならば、神が確かな友となってくださるのです。

試験が終わって結果を受け取ることは、そんな人生の小さな縮図だと言えるでしょう。私たちは点数という結果以外に、自分の心にも結果を受け取ります。これでよかったのか、こんなあり方を繰り返していきたいのかという問いへの、心の後味が残ります。あなたはそこから、どのような歩みを始めていきますか。
あなたのこれからの種まきは、やり方次第でよい収穫を期待できるものになります。種まきは、神と共にしましょう。自分の弱さを神に助けていただきながら、今与えられているものに感謝しながら、救い主と共に歩みましょう。

【祈り】
天のお父様。人間の愚かさや憎しみが、大きな戦争につながる歴史を私たちは知っています。どうか、私たちの個人の人生においても、人々との関わりにおいても、よい種まきをする選択をしていくことができますように。
救い主イエス様の御名前によってお祈りいたします。アーメン。

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