心を磨く

  • 2020.08.03

今日の聖書のことばと祈り

新約聖書 へブル人への手紙 11章 13節
「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」

 「まだ手に入れていない。この先がどうなっていくのかわからない。」そのような状態を、不安定で居場所がない、と表現することもできます。しかし私たちはこのようなときを、「旅の途上なのであって、目的地に近づいている最中なのだ」と言い替えることができます。

 上記の11章には、旧約聖書の人物の名前が信仰の人々としてリストアップされています。彼らは神が約束してくださったものを受け取ることができなかった人々なのだと、この手紙の著者は明記しています。しかし、同時に彼らは、実際にそれを受け取ったも同然に喜んでいた、とも言っています。そして、自分たちの地上の人生は、落ち着く場所のない仮設生活であることを認めていたというのです。このような生活のどこが楽しいというのでしょうか。

 今まだ到達していないという状態は、聖書によると、私たちの心を活性化させる力となるものです。これから始まるのだ、という状況は、私たちに意欲を与えます。ほどよい緊張感と、複雑なわくわく感の中で、自分が今やるべきことに取り組もうという熱意が生まれます。ただし、その熱意を維持するためには、将来の希望に確かさがあることが必要です。
神を信じる者は、未来の確かさを神の約束の確かさだと考えます。神が信じる者に祝福を与えてくださるということは、神が約束したことであって、この神が本当に神であるならば、ご自分の名にかけて必ず実現させるはずなのです。神を信じることは未来の先取りです。未来をそのように信じることは、不正義、不安、不確実な現代を生きる力です。時代がどれほど暗くなっても、神の約束への信頼は、未来への暗い予想を逆転させてくれるのです。

 期末試験という小さな緊張の間にも、少し先の未来を考えましょう。そこに待っている神の祝福を思って、心を活性化させましょう。あなたには、今のあなたが知っている以上の可能性を神に与えられているのですから。

【祈り】
神様。毎日、小さな緊張状態を通りながら、私たちの人生は進んでいます。地に足がつかないように思えるときにも、あなたの導きのただ中にあることを思い出して、今をしっかり歩むことができるように、あなたの約束を信じる心を与えてください。
イエス様の御名前を通してお祈りいたします。アーメン。

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