心を磨く

  • 2020.07.23

今日の聖書のことばと祈り

旧約聖書 ネヘミヤ記 1章 6節
「どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。」

 祈りは神との会話だと言われます。ですから型にはまったことばではなく、自由に自分の心を神に打ち明け、訴えてよいのです。言葉にならない思いも、沈黙すらも祈りの一部となります。それに加えて、聖書の中では、他の人のために代わりに祈る「とりなしの祈り」と呼ばれるものがあります。
 上記の聖書のことばは、戦争に敗れたイスラエル人が敵国の捕虜として連れ去られた後、帝国が移り変わった後のペルシャ帝国の王宮に仕えていたネヘミヤの祈りです。イスラエル人である彼は、ふるさとのエルサレムに帰還した同胞たちの様子を聞き、その悲惨でみじめな生活にショックを受けます。何日も泣きはらした後に、本気で神に向き合って祈り始めます。世界を創造した大いなる神に呼びかけて、祈りを聞いてくださるようにと求めた後に、彼が神に語ったのは罪の告白でした。
 彼の罪の告白は「私たちは」で始まります。「私も私の父の家も」と言い換えながら、自分だけでなく、親族全体、民族全体の罪の告白を代弁しています。彼は、今イスラエル人の同胞たちがおとしめられているのは、神を裏切りその命令に逆らったからなのだと知っていました。神が自分たちの罪を赦してくださることが、回復への唯一の道だとわかっていました。神の憐れみによって、国がゆるされ、復興するために、誰に頼まれたわけでもないのに、ネヘミヤは民族を代表して神にゆるしを乞うのでした。

ひどいことは世の中にたくさんあります。お互いにののしり合うだけでも人生は忙しく終わっていきます。私がやったわけではない、国家の罪、民族の罪、他者の罪を見るときに、私たちは指をさして怒り、あきれます。しかし、神を知る人には、相手の罪を代わりに告白し、神に憐れみを求める道があります。その罪を「私たちの罪」として、その人々の代わりにとりなしの祈りをすることもできるのです。そんな道を選ぶことによって、平和をつくる選択もあるのです。
イエス・キリストは、私たち罪人のために身代わりになってくださった神です。彼自身は罪人ではなかったのに、罪人たちに手を差し伸べて、「私たち」と呼んで共に歩んでくださる方です。私たちが嘆きと共に他者のために祈るとき、それは私たちの救い主に小さく近づいている瞬間なのです。

【祈り】
愛なる神様。自己中心な私たちは互いに責め合い、互いをねたみ、互いを恐れています。この私たちの罪をおゆるし下さい。そしてただあなたの憐れみによって、私たちのうちにあなたの愛を始めてください。
救い主イエスの御名前を通してお祈りします。アーメン。

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