いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2018.09.26

お父さんも一緒に学ぶ

先日、今年度開始された「思春期セミナー」が土曜日の午後に開催された。今まで保護者対象の講座や読書会は平日に行われたため、参加できない方がおられることを考慮して、土曜日の午後にも開くことにしたが、今回は父親層の参加もかなり見られ、いつもとは異なった空気の中で「思春セミナー」を持つことができた。熱心な参加者達に敬意を表したい。
今回のセミナーでは、人と人との関係はすべて相互の関係性の中に存在するもので、乳幼児期から大人に至るまで、人の成長とは人との関係の中で成立するものであること、そして子供の成長を通して親である私たちも成長する機会が与えられていくことを学んだ。とりわけ、思春期に向かう生徒たちの変化は、同時に親である私たちもまた新しい発見や人生における新しいステージに向かっての学びの機会が与えられていること、またそのようなチャンスがあることを学んだ。
反抗期とは子供の側からの親子関係の作り直しへの叫びであり、子供たちの自立過程とどう向き合っていけば良いのかについて、共に考え合った。とりわけ子供を通して見えてくる親である私たち自身の問題や課題を、どうのようにとらえていったら良いのかについても問題提起した。それと同時に、子供の存在はそのような学びの機会を親である私たちに提供してくれるものとして、その子をそのままに受け入れていくことの幸いについても学ぶことができた。
近年は時代が変わったからだろうか、式典や行事に父親の参加の数が多くなってきた。入学式や卒業式などは生徒数の2倍以上の座席を用意する必要が生じてきた。同時に日頃の教育活動に様々な形で父親の参加が見られるようになってきた。PTAの委員も引き受けていただくことも出てきた。今までの家庭における父親と母親の役割も変化しているのだろうか、時代の変化に合わせて学校も変わる必要があることを感じさせられた。確かに働いている母親の割合が高くなればなるほど、父親が子供の教育へコミットする割合も多くなるのは当然のことと言える。それを前提とした学校の対応もこれからは考慮しなければならないだろう。
父親たちの学校教育への参加は「開かれた学校づくり」にさらなる可能性の窓を広げてくれるかもしれない。社会的活動や職場での体験を、次の世代の子供達に伝えられるのは、現場での苦労を重ねている人たちであり、父親たちが社会性や人間関係のあり方などを語ることは、狭い世界で生きている中高生たちに「窓を開く」動機を与えてくれるかもしれない。
今回の思春期セミナーでは、大事なキーワードとして「手当て」と「親切」という言葉を取り上げた。手当ては身体接触の大切さ、そして親切とは「親が切り与えること」を意味しており、それは獲得した食物を子供に分け与えるという行為を指している言葉だと思われるが、食物のみならず生きていくために必要な経験や価値観など、親から子に切り渡されていく行為の中心を担うのは父親であるとしたら、父親が共に教育について関わることは重要なこととなると思われた。そして、このような学びの現場から、新しい教育は始まっていくのだろうと、熱心に学んでおられたその姿に中に新しい希望を見出すことのできた午後のひと時であった。

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